完璧な癒しという幻想。不足は埋めなくていい。

湘南・藤沢・辻堂のレイキとヨガのちいさなヒーリングルームLeela(リーラ)のLISAです。

今日は私の伝えたいことの核の1つでもある『癒し』について。

19歳頃から自己探求や癒しのジャーニーを歩んできた私が現時点で感じる大切なことを書こうと思います。

目次

完璧な癒し、という幻想

癒しと出会うタイミングは人それぞれ。

私自身は長年なんとなくの生きづらさは感じていたものの、
「みんなこんなもんでしょ」
と自分と向き合うことはなく、いよいよ現実がにっちもさっちもいかなくなって初めて自分自身が傷を抱えていて癒しが必要だと気づいたパターンの人間です。

(こうゆうタイプも多いはず。私の過去の詳細はよろしければプロフィールをお読みください。)

癒しに出会って初めて、自分自身がこんなに傷ついていたんだ…と気づいた私は、
夢中になって癒しに取り組む時期がありました。

とにかく自分を癒したい。
早く癒したい。
癒しきって、今度こそ幸せになるんだ。

そんな感じのモチベーションで、とにかく夢中に取り組みました。

ところがある程度心が楽になってきてふと思ったのです。

あれ?楽になったけど、たまに落ち込むことも不安になることも怒りもまだ出てくるし、
私、まだまだ癒しが足りないんだな。

完璧はまだまだだ。
私はまだ未完成の人間だな。

もっと癒さないと!
もっとセラピーもして、
もっと瞑想もして、
もっとクリアになりたい!
もっと完璧に癒されたい!


もともと持っていた生きづらさからの焦燥感が、
今度は「まだ完璧に癒されない」という焦燥感にすり替わり、なんだか心が晴れない自分に気づいたのでした。

そして『いつか完璧に癒されてピカピカの完璧な自分になれる』という考え方そのものが、エゴにとらわれた幻想だということに気づきました。

自己受容を体感するほど癒しは加速する

心や目に見えないものについて語ったり述べたりしているものって本当に矛盾だらけ、っていつも思うし、書いていても思います。
言葉だけで全てを表現できないんですよね。
(それでも誤解を恐れず書いてみようと思います。)

最近の私は癒しについて、

私は不完全な存在、だから癒そう!
ではなくて、
私は既に完璧な存在、

やりたいこともやって楽しく生きてる。
そうやって生きる過程で出てきた葛藤や苦しみは、その都度癒していけばいい。

そんな風に捉えています。

そして不思議なことに、

ありのままの自分=時に苦しみや葛藤に出会う自分として受け入れられることが出来れば出来るほど、どんな自分と出会っても落ち着いていられるようになり、そもそもあまり苦しみや葛藤に出会うことが少なくなりました。
(物事へのジャッジが薄まっていっている、とも言えます。)

癒しを完璧にしよう!
と思って早く楽になりたい、と思っていた時ほど、よっぽど苦しかったし焦っていたなぁと思います。

ありのままの自分をまるっと受け入れること
(自分を受け入れられない!と思う自分すらも受け入れること)は、今この瞬間の自分を完璧に受け入れることだなぁと思います。

Perfectly Imperfect 完璧に不完全であるわたしたち

なんとも抽象的な話を繰り出してしまいましたが、癒しを実践する時の意識って本当に大切だと思っています。

そんな時に思い出すのがこの言葉、
Perfectly Imperfect。
(紹介すると好評で、時折思い出して自分に言い聞かせてます、と言ってくださった方も。)

自分の不足を埋めるために癒すのか、
それとも完璧にありのままの自分を受け入れた上で癒すのか。

きっと癒す、という行為は同じでももたらされる結果は全く違うものになるでしょう。

私自身のレイキやヨガのセッションやクラスでもこの意識や意図を大切にしていきたいなと常々思っています。

何かが欠けていて不足しているあなたや自分自身を癒してあげる、ではないんです。
既に完璧なあなたの部分を今この瞬間に見出していく、
完全な存在である自分自身に要らない不要なものを取り除いていく、


そんなイメージでいます。

癒しや自己探求に取り組む方に届くといいなと思っています。

LISA

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